以前のブログにも書きましたが、初めて岩手県宮古市に行ったのはかれこれ10年くらい前です。
義理の父が岩手県宮古市の海のすぐ近くの出身で、長く盛岡に住んでいました。
義理の母のお墓が宮古市内にあるため、毎週のように盛岡と宮古を往復していたそうです。
トンネルの数や名前を全部覚えた…というのが自慢でした。
僕も毎年、義母のお墓参りに宮古を訪れました。
義父は屈強な海の男で、「俺は100歳までは生きるだろう…」と自分では言っていました。
そんな義父も2年半ほど前に亡くなりました。
100歳まではまだ15年くらいあったのに…
葬儀、納骨、49日、一周忌を終え、ほっと一息です。
お世話になっている宮古のお寺のご住職にも、「来年の三回忌もよろしくお願いします」と言って宮古を後にしました。
それから数カ月後に東日本大震災が起こりました。
去年のGWに15時間くらいかけて車で宮古まで震災後初めて行きました。
義父の実家のあったお墓までの道があり得ない状況になっていました。
もちろん、義父の実家は瓦礫の山の中なのでどこなのかもわかりません。
事前にYoutubeの動画で街の状況は見ていましたが、アスファルト部分以外はただの瓦礫の山です。
粉じんも危ないからマスクも着用での運転です。
目印だったあの商店、なんとか原型だけはとどめていました。
後は、高台のお寺にカーナビをあわせて方向だけを頼みに進むだけです。
お寺やお墓は無事でした。ご住職が言うには、反対側からも波が来て一部のお墓が倒れたようですが、なんとか大丈夫だったようです。
そのときは宮古のNPOの方に近隣の山田町や田老地区も案内してもらいました。
海沿いはどこも同じような状況です。
ボランティの人たちも来ているようですが、自分にも何かできることはないだろうか…と考えました。
でも実際に直接できることは限られていると思いました。
それよりは目の前の自分の仕事を頑張って、別の形で貢献するべきなのかも…とも思います。忙しいビジネスパーソンにとって直接、ボランティで活動するのは難しいと思います。でも、目の前の仕事を頑張って、被災地にパワーを届けて、ときどき寄付をしたり、復興支援の産直品を買ったりして貢献することも大事だと思います。
そして何よりも被災地では、今も仮設住宅で窮屈な生活をしている方たちのことを忘れずに、思いやりの精神で周りのお年寄りや弱者の方たちにも接するいうような、身近なできることを大事にするのも必要かな…と思っています。
【↓震災後のGWに宮古市を訪問した時の写真】